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『名刺』 |
東京からメーカーの営業課長がお出でになり、お客さん廻りをしてちょっと時間をお互いもてあましていた時、「課が違いますがこんなものもやってるんですよ」と、カタログを示されました。
それは機械の機能部品で、ある業界の製品メーカーでは数量に多少はあっても、必ずといって良いほど使われているものでした。
「溶接機でお世話になっている会社がありますので、行ってみますか」電話で担当課長の承諾を得て、伺いました。
「御社の製品の良いことは知っているよ。でも、出入り商社で御社の製品を紹介してくれた所は一社も無い。発注は毎年秋口に年一回」
そして今使っているメーカーと品番、それに凡その数量まで教えられた。
「価格が合って納期確実なら買いましょう。溶接機でお世話になっている事でもあるし」
数日後メーカーの担当者から電話があり、訪問の日が決まりました。
その日、始めて会う彼を迎えに東三条駅の改札出口で、私は会社の封筒かざして待ちました。やがて一人の青年が声をかけてくれました。
車の中での会話は、私が予想していた部品メーカーの熾烈な戦いの先端営業マンではなく、口数も少ない、しかし何となく好感のもてる一人の若者でした。
一旦会社へ着いて驚いたことは、彼の名詞の役職名が「主任」と印刷されていてその上を2本の線で消されていたのです。降格されて平社員となっていたのです。
役職名を消して出される名刺は、昇格して新役職が脇に書いてある例はありますが、午後から訪問した会社の課長にも勿論、その名詞を出し、お話を聞いて頂ける機会を与えて下さった事に感謝し、自社の紹介、業界全体の動向など、穏やかな口調で話し途中で課長の質問を受けてもきちんと答えてくれます。
私は2人の話し合いを見ながら、いったいどうして降格?やはり自分の勝手な思い込みのせいか、少し暗く感じられたのです。後日見積書の提出を要請されて帰りました。
翌日電話で教えられ、彼の指示通りの見積書を作成し持参しました。
「高いよ。今買っている某社の価格は」と言って私の持ってきた見積書に書き込んで下さいました。それは当社の仕入れよりも安い価格で、商売になると言えるものではなかったのです。「この前の彼、どうして降格になったか知らないが、営業マンらしからぬ営業マンとでもいうか、感じのいい男だったからなんとかしてやりたいがね」
早速夕方、無理だからこの商売はやめよう、うちとしても本業でもないし、と言ったら
「必ず御社のためになるようにしたいので、ちょっと時間をください」
結果的に価格を下げて受注しました。そして最初の納品が済んで暫くして彼が「お礼と年末のご挨拶に」とわざわざ来てくれ、翌日が休日だった事もあり、一緒に夕食をとり泊まっていってくれました。店の主人ともすっかり馴染み和やかな会話で酒もすすみましたが、乱れることも無く、名詞のことも語らず、別れました。
その後、ルートが変わり彼と直接の会話をする機会も無くなりましたが、翌年、発注の頃「東京にお出でになることはありませんか」との電話で出張予定があったので、夜の時間を彼に連れられて酒場で飲みました。去年会った時よりも元気で笑顔も多く見られたように感じられ、近況を話し合って、お互い頑張ろうと手を握り合い、別れました。
それが最後でその後の消息は分かりませんが、それなりの実績を上げ成功してくれた事と信じています。今ちょっと会いたい気持ち。 |
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