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『ある訃報』 |
やがて10年くらいになるでしょうか。ファックスで訃報が入りました。
私は明日からどうしても行かねばならぬ出張が決まっていたのです。なんとか今日のうちに挨拶に行ってこなければならない。
仕方なし、作業服のままで持参するものを用意して、夕方になってしみましたが、会社の方へ先に行って自宅の場所を聞き10分くらい走って着きました。
初めて会う奥様、お母様を長男の専務が紹介してくれました。
生前とそれ程に衰えた顔立ちには見えず、声を掛けたらむっくり起き上がるのではないかと思えるほどでした。
仏に手を合わせてから誰に言うともなく「この人は全く勝手気ままに言いたい事を言い、やりたい事をやってきた人だった」驚いたことに奥様ではなく、お母様が
「あなた様のお世話になったことは、すべて聞いて知っております。おかげさまでここまで着きました。感謝しております。」私はびっくりして次の言葉が出ませんでした。
出会いはお客様の紹介で、ちょっと遠いけれど今足踏式のスポット溶接機2台で溶接仕事をしているが、物が大きいこともあり数が上がらないし、疲れて大変だという。金はないので新品は買えない、空圧式の中古品の程度の良い機会を世話願えないか。
ぴったりの中古品が2台当社には有ったのです。
これが最初の商売でした。ひかし初対面ではなかったのです。前の会社へ勤めていたとき、ある洋食器工場の事務員として、社長を補佐してきびきびと動き回っておられたのです。
そんなこともあって親しさが増し、機械も調子良く仕事も順調に伸びて機械の増設の話も出るまでになりました。それにしても、今の工場は借家でもあり、狭くて機械の入る余地も無いのです。新工場の建設、今の広い敷地と工場へと、3回の移動で落ち着いているのです。
その間設備に関してはいろいろご利用頂きましたが、苦しい時、それでも設備しなければ捌ききれない、そんな状態が何回かありました。
その度にクレジット会社、リース会社に頭を捻って頂き何とか要望に応えてもらいました。ある時は、「あなた達は一体どういうつもりで、税務署みたいに、あれこれと調べているんだ」怒りを顕にしたりして、一瞬手を休めることもありました。
「何とか良いところ、この先の見える材料がないか探しているんです。ご希望が叶えられるようにしたいんです。」
私に対してそのような用がなくなった頃は、専業メーカーからの設備がいつの間にか主流となり、その業界では名の売れた会社になっておりました。
息子が入って専務としてやがて全てを任せ、それでも時々私を呼んで、あの工程を機械化したいとか、あんなやり方では駄目とかいって、方法を考えてくれ、と言われるのです。
どうせ専務に無用のことと一蹴される事を承知で、はいはいと聞いて帰ります。中々返事を持っていかないmのですから、催促されて叱られる。用意していけばいつもの通り。
親子の言い合いになって社長は「もう少し検討して返事するから」
主要設備の全ては社長がほぼ独断でやってきた事。それを活かして進む、世代交代の旨く行っての社長の逝去であったと思うのです。 |
樋山忠明 |
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