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『突然の訪問者』 |
「某社の方がいらっしゃいました」
ノッポで可愛い目が眼鏡の奥に微笑んでおられます。
「ようこそいらっしゃいました。何拾年ぶりでしょう。その節は大変お世話になりました」
現役時代は熱血部長で社員の指揮をとり、率先して販売店やユーザーの元へ赴き、迫力ある説法で実績をあげられ、退職されてからもメーカーに委嘱され、後輩社員や販売店の社員教育に専心されておられる。
「もう教育も後輩に譲り、やめました。忘れもしません。新潟でやったときは社長にこっぴどく叱られましたなぁ」
「そんなことありましたか。私は全然覚えておりませんよ。第一貴方に文句なんか言えるわけ無いでしょう」
「言われましたよ」傍らの社員も「あの時は私もおりました。そうでした」
「それはすみませんでした。恐れ多くも貴方に対してそのような無礼なことを」
それからは今の仕事の状況や今後のことなどで歓談し、またのご縁を願いつつお別れしました。しかしどうにも自分自身が納まらず、いろいろ考えていくうちに思いあたりました。
そのメーカーの年1回の会合で私の発案だったでしょうか熱血講師にお願いして講演して頂いたのでした。
私は現役時代の迫力ある武勇伝を期待していたのに、どこぞのセミナーみたいにパソコンからスクリーンに出して尤もらしきことを説明するに留まったのでした。
それで一言、申し上げたことを思いだしました。
私も年ですから、と言われましたが確かに往年のようなパワーは感じられませんでした。
大変お世話になり、またハッパを掛けられたこともつい昨日のように思い出されるのです。
大阪人で大阪勤務が長かったのですが東京へ転勤となり、定年を向かえるまでの数年間奥さまと二人で東京のマンション暮らしとなりました。奥さまは大阪を離れることに大反対で大変だったそうです。
毎日まいにち大阪を恋しがり、不平を聞かされていたそうですが、暫くしたら「もう大阪へは帰りたくない。東京が一番」といわれたとか。
驚いて問いただしたら、最初の頃はお友だちもなく、大阪だったら必ず誰かが来たり、尋ねたりで退屈する事知らずで日を暮らしていたのに、東京では誰も来ない。隣の人でさえ挨拶程度で行き来する事は無い。全くお構いなしの生活が最初は苦痛だったけれど、逆に今は人を気にすることもない生活がこんなにも気楽とは知らなかった。極端な言い方をすれば、大阪では他人でも勝手に人の冷蔵庫をあけるようなもの。あなた、暮らすのは東京が一番ね。と言われ、今は主人の帰りを楽しみにお待ちとか。 |
樋山忠明 |
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