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『一杯のかけそば』 |
あぁ、あれか。思い出されたことでしょう。
平成元年頃から本や、テレビ、映画等で多くの人々の感涙を誘って日本中で話題になった、誰知らぬ者も無い「大晦日のお話」です。
『北海亭』というお蕎麦屋さんが10時をまわって最後のお客さんを送り出し、客足も途絶えたところで暖簾を下げようかと話をしていた時、入口の戸がガラガラとゆっくり開いて二人の子供を連れた女性がはいってきました。6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウエア、女性は季節はずれのチェックの半コート。
「いらっしゃいませ!」と、迎える女将に、その女性はおずおずと言った。
「あのー----かけそば-----1人前なのですが-----よろしいでしょうか」
これから始まるお話ですが、日本人の大好きなお話で、あっという間に感動が全国を走りまわりました。私も特に乗りやすい方ですので、こんな感動的なことがあったのかと、知らない人には聞かせ共感を得ておりました。
この頃で15年ほど前のお話とのことですから、時は昭和50年頃になるのでしょう。
その年から3回年末の31日時間も同じころに戸が開いて、「あのー----」と始まる。
女将も主人も心得たもので、毎年指定席としてとっておき、暖房に近いテーブルへ案内する。主人は1つ半の大盛りでゆで上げる。客と妻に悟られぬサービスで3人のテーブルに、一杯のかけそばがはこばれる。
母は子供たちに沢山食べさせようと自分はあまり箸を出さず、美味しそうに食べている子供に見入っている。気づかう子供は母にも食べるように勧める。
どうして一杯のかけそばを3人で「そばや」で食べねばならないのか、あの頃だったら食品スーパーも今程でないにしてもあった筈、家で同じお金で一人前づつ食べられたのに。なんて言わないで素直に認めましょう。尤も実話のように言われていたようですがフェクションであり、これで名を上げた作者にアクシデントがあったりして、そばもこぼれたみたい。
「年越し蕎麦」とは一年の締めくくりに大晦日に縁起をかついで食べられる蕎麦のことで「人生は蕎麦のように、細く、長く生きるという意味で食べる」という説で江戸時代中頃から広まったともいわれております。
関西ではそばではなく、運を呼ぶ『うんどん(うどん)』を食べて「太く長く」を願うとか。
夕食で食べてもいいし、夜食でもかまわないが、ただ年を越してから食べるのは縁起が悪いとか言われ、除夜の鐘の前に食べ終わり、初詣に行くのもよいでしょう。
一説に蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労を切り捨てる、翌年に持ち込まないという意味もあるそうですから。 |
樋山忠明 |
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