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『土、日でもないのに静かな毎日--でも桜は咲いて自然の営みは続く』 |
景気浮揚の第2弾が発表されました。要はお金を使って下さい、ということ。
たまたまそれらの予定がある人たちには、願ってもない有難いことに違いありません。
桜前線が日本列島を駆け巡り、南から北へと順次に咲いていく様は、不況の暗黒の波に曝されていることなど全く関係なく、自然の力の偉大さを知らしめてくれます。
わが家の裏に一本の老木があり、それが鎮守さまの短い参道のたった一本の桜なのです。
でも毎年必ず咲いて通る人たちの心を和ませてくれています。先日の雨で地面に花びらが敷き詰められ、ちょっと寂しくなり、下の枝から葉が見えてきて終わりを予感させています。
どこの町でもお花見の行事や、観桜会が満開の桜の頃を目指して行われます。県内の桜の行事としては一番の人気ある催しではないかと思いますが、私たちの町で「花魁(おいらん)道中」があります。「花魁」本来の暗い陰湿さは無く、平成の明るい現代っ子の「花魁」です。
長野県から新潟市の日本海へ注ぐ大河、信濃川がこの地で度重なる堤防の決壊で田畑は勿論のこと、住まい、人命までも失う惨事が続き、人工による分水路が日本海まで築かれました。その水路に沿った道路の両側に桜並木が続き、満開でちらほらと花びらの舞う中を多くの供を引き連れて3人の花魁が通るさまは、今は遠きその時代を彷彿させてくれます。
花魁役は全国から募集し、100人余の応募者の中から4名が選出され、衣装、かつらで30㎏を身に着け、総勢70人ほどで途中休憩をいれて1時間30分続きます。
高さ15cmもの高下駄を履いて独特の外八文字の歩きを披露してくれます。
この「花魁道中」の日程は桜の開花予定と休日を合わせて決めるものですから、時には散り果てて葉桜だったり、雨に降られて中止の止む無きにいたったこともあったそう。
でも今年は先日の雨で少しは落ちたものの、天候もよく、ちょうど散り頃の桜吹雪で「太夫」の姿が特に美しく見えたのではないでしょうか。
私が会社へ勤めて居った頃ですから50年位前のことになりますか、初めて花見に行こうということになり、車を借りきって行きました。ちょうど取引先の課長さんが大阪からお出でになり、社長の勧めで一緒に同乗されました。あの当時は道路の舗装もなく、砂埃の舞う中を行き、場所を確保して持参した敷物を敷いて宴会場ができました。どんなご馳走があったか今は記憶にありませんが、熱くも、冷たくもないお酒、ビールをコップや茶わんで飲み、出来上がったら席を立って埃の満延している桜並木の方へ出てゆきます。「出発の時間までに車の所へ集合だよ!」
しかし大阪の課長さんはお見えにならない。みんなであちこち探して回りましたが見当たらないのです。「もういいから、置いて帰ろう」社長の酷いことば。
翌朝、「昨日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」ちょっとしおれた課長さん。
「いったいどうされたんですか」「いや、それは聞かないでください」 |
樋山忠明 |
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