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『新年度のスタートに』 |
問題産出の21年度も終わり、新しい年度を迎えました。山の向こうには少しづつ景気が上向いてきたと云う話も聞かれるようですが、私たちの地域では聞けません。
確かにある業種は受注が舞い込んでいるそうで、機能部品の供給が間に合わないところが出始めているとの事。
生産調整と人員カットで忍んできている所へいきなり体制を上回る注文を受けても、直ぐに元に戻すことは難しい。時間外や休日出勤も加味したうえで納期の遅延をお願いせねばならない、という結果になるのが普通でしょう。
100年に一度の大不況と云われ、不況慣れした私たちにはどんなものか想像すら出来なかったけれど、確かに今までとの違いを味わせてくれました。
世界に誇る日本の優良企業の対応、まさかそこまで、えっ何故。
雇用形態の変化。はじめて人材派遣会社の歓誘というか募集の立派なカタログを見せられた時、「へぇーこれからはこんな形で仕事をすることになるのかなー」とただ驚いていたことを思い出します。
従来の年功序列型給与体系が批判され、仕事が出来れば年齢など関係無かろうとの意見が聞かれるようになり、それが個人の実力を最大限に企業に売り込むという「派遣会社」の誕生に結びついたこともあったのではないでしょうか。
規制が緩和され、いつの間にか正社員よりも派遣またはパート従業員の人達が多い会社もあるとか。業種も広がり、企業の側からは仕事量の多い少いにたいしてのクッション材として使われていたと云っても過言ではないでしょう。
「お客様には優秀な製品をどこよりも安価に提供する」という「錦の御旗」を掲げて。
資源の無い加工国ですから輸出で外貨を稼がなければならない宿命にあり、海外品と品質変わらずで価格が高ければ買ってもらえない。
そして賃金の安い海外へシフトする企業が増え、国内空洞化が進み国は雇用の促進に無いお金を使って、金や太鼓を打ち鳴らす結果となった。
では国内で仕事を求める、食っていく、生きていくその為にはどうすれば良いのでしょう。
その昔、「金の卵」と言われて重宝にされ、「就職列車」で都会へ工業地帯へ送り込まれた少年たちがありました。日本の復興の象徴的存在、発展途上のころといえましょう。
働く環境も決して良かったとは思われません。しかしみんな頑張った。食うこと、寝る所が粗末であっただろうが、我慢できた。そして今に見てろ俺だって。そのうち。そのうち。そんな気がいで辛抱してきて、そして団塊の時代を向えて「俺たちのあの頃は何をしても食って行く術は探せた。今仕事を求めている人達にあの頃の自分達のような意欲が感じられないというか、理解できない、分からない」と云われてしまったのです。 |
樋山忠明 |
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