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『お盆を向えてお世話になった人を』 |
その日は休日でしたが、調べ物や常日頃の貯まった書類等の整理で会社におりました。
9時30分を過ぎたころ電話がはいりました。聞き覚えのある女性の声。住所と名前を告げられ、「蛍光灯のランプが切れたようで点きません。今日は一日家に居りますので、何時でも宜しいので取り替えて下さい」
一区切りついたところで、これと思われるランプ3本と点灯管を持って、向いました。
確かこの小路だと思ったが、20年以上ご無沙汰しており入口の庭木や鉢植えが並んでいた筈だったが、そんな記憶しかなかったのですが、3回目に入った小路にありました。
うろ覚えの私の記憶と同様の佇まいで、しかも表札も昔のまま。
「ごめん下さい」「すみませんねぇ。どうぞ上がって下さい」そう言えばあの頃もいつも和服でおられたことを思い出しました。踏み台も用意してあり、交換して明るく点灯した様子をみて「前より明るくなりましたね。ありがとうございました。どうぞお茶を」
「ご無沙汰しております。私ご主人がお元気なころお邪魔させて頂いておりました」
「そういえば、いつも来て下さる方は弟さんでしたね。よく似ていらっしゃるから分かりませんでした」
ご主人はこの地域のステンレス製品華やかなりし頃から製造工場の工場長として、長年勤めておいでになった方で、私も開業以前から引き続きお世話になっておりました。
「早いもので、もう10年経ちました」ご逝去は75歳でした。
定年前にちょっと病気をされたけれど、快復されて先頭に立って指揮しておられましたが「あるとき「仕事ももう沢山やった、会社辞めてもいいかい」と云われたんです。ちょうど60歳定年の年でした。「あなたの好きなようにされたらどうですか。これまで御苦労されたんだから」と云いましたら、「本当に良いのか」と念をおされるので「どうぞ良いですよ」といいましたら安心されたのか、やがて朝の出勤がなくなりました」
その後、社長が何度となくお出でになって説得、お願いされたそうですが、決して首を縦には振られなかったそうです。自分は居なくとも部下は育てて来た筈。そういう自信があったからではないかと思われます。
それから暇をもてあましているものですから、一時パチンコに興じられたことがありました。時々寄って下さって世間話をし、パチンコの勝った話、負けた話など面白可笑しく話されて帰られましたが、過去の現役時代のこと、仕事に関することは一切口にはされませんでした。それから暫くしてお寄りになった時はパチンコはやめた、という報告でした。
パチンコ店ではいつも会う仲間が出来てしまい、親しく勝った、負けたと話し合っておりましたが、ある日毎度の仲間の一人が「すまないが、健康保険の保険証をちょっと貸してくれないか」と頼まれたので「他人の保険証なんかどうするんだ」と聞いたら「金を借りるんだ。迷惑はかけない、必ず返すから」昼間からパチンコしてる連中はこんな輩が多いのかなと思ったら、自分も同じに見られているとしたらたまらない。それでパチンコからは足を洗った、というこの人らしい辞め方だと思ったものでした。 |
樋山忠明 |
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