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『突然の来訪者』 |
「お客様です」と知らせに来てくれたので「どちらさま?」と聞き返したら懐かしいお名前が返ってきました。日頃の無沙汰をお詫びし、お世話になっているお礼を申し上げました。
そして直ぐに出る言葉が「お仕事の方はいかがですか?」となってしまいます。
「今日はそのことで来たんです。今年一杯、今月きりで工場を閉めることにしたんです。長い間本当にお世話になりました。今日はその挨拶にお伺いしたわけなんです」
「えっ」驚いて、ほんと、まさか、と返す言葉に困ってしまいました。
これまでも、わざわざお出でにならなくても廃業された事業所はありましたが、開業から今日まで変わらぬご贔屓を頂き、この30年余の間に堅実に着々と設備の増強を図られ下請けの外注工場として、多くの工場から良い仕事をして、しかも納期は守ってくれるとの厚い信頼を受けておられました。
しかしそれらの製品が安い中国産品に押され、さらに例の世界的大不況の影響もあり、工賃は下げられその上数量的にも格段の減少で、“量少なくして工賃安し”一日通しての仕事も珍しいくらいにまで落ちて,一緒に働いてもらっていた近所のおばさん達にも辞めてもらい、子供達も勤め先をさがして奥さんと二人になった。
でも仕事が無い。車が止まると二人で出てみるが、仕事を持って来てくれる車はなかなか来てくれないのです。
私が初めてある人の紹介で訪問した時は住宅の前の農舎の片隅で、お父さんが農業の傍ら包装機で小物の製品を包装しておられました。それも量がだんだんと減ってきてもう辞めようと考えておられ、工場へ勤めて溶接をマスターした息子さん(現代表)にバトンタッチをすることとなったのです。
30年前ですから20代、若さはちきれんばかりの好男子で仕事に対する思い込みを聞かされ、取引させて頂けることに感謝し、これまでにいたりました。
その間工場の改造、増築を繰り返し流れのよい工場に仕上がったのです。そしてその度に機械の増設をされ、ご用命頂いてまいりました。
「自分はまだ50代も半ばにもいってないので、残念でしかたがないが、収入がないのに経費だけ払って食いつぶして行くようじゃだめでしょう。考えに考えての苦渋の決断です」
まだ若い。これからだというのに。
「それでも取引先の社長さんから、うちの会社へ来てくれないかと云って下さったし、そちらでお世話になろうと決めました」
「それは良かった。あなたのこれまで培ってきた技術が本当に役立って喜んでもらえると思いますよ。頑張って下さい。まだ若いんだよ」
「頑張ります。それにしても長い間本当にお世話になりました」
「こちらこそお世話さまでした。残念だけど仕方ないさ。又いつでも寄ってくださいよ」
お客さんがまた一社減ってしまいました。こんな状態がいつまで続くのやら。 |
樋山忠明 |
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