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『自然の猛威 東日本大震災』 |
3月11日マグニチュード9.0という未曽有の巨大地震が太平洋側の東北地方から関東地方にかけて襲ってきました。全く予告なしで勝手に襲いかかる自然の猛威には、ある程度の準備対策はしておったとしても、大体それにはとどまらないのが当たり前のようです。
特に今回は直後に襲ってきた、大津波の来襲が地震で痛めつけられた地域を、更に壊滅的な打撃を与えました。
連日各テレビ局から放映される惨状、津波の浸入シーンなど、これが本当のこととは思えぬほどに脆くも崩れ流される様は悲惨そのものでした。
まるで映画のトリックのように、いとも簡単に崩れゆき、流され、そして置き去りにして去って行った後は、区別も何もない皆ごちゃ混ぜの木片と瓦礫の山。軽自動車も高級車も区別なく転倒、瓦礫の上又は下になり屑として処理されるしかないと云う惨状。
どんなに大切な宝物でも、価値ある骨董でも、一瞬にして価値も喪い消えてしまった。
避難先のルポでは「生きていただけでも良かった」との声が聞けました。肉親の安否も分からず心配しておられる家族のさまは、つい先刻まで、今朝の朝食後の出社時までいつもと何変わることなく言葉を交わして別れたのに。叶うことならば時計の針を戻して欲しい、そんなやり切れない思いで唯待って居るのみの避難所の生活が思いやられます。
幸いにして私はそんな経験はありませんが、為す事も無く、恐怖に怯え、行方不明の肉親の安否を思い、ひたすら待っているのみの毎日。耐えられませんね。
更に原子力発電所の事故。如何なる自体が生じても絶対安全でなければならない使命を持たされて地元の了解を頂いて建設された筈でしょう。それが数百年に一度の天災によるものだから仕方がないとも言えない筈です。
過去に外国で生じた事故も教訓になっていたでしょうし、又今回はその例とは異なる事故の現れ方だったのか、私は知りませんがいずれにしても発生した放射能を中和するとか、取りさるとかの術があるならともかく、防御の方法すらない、汚染流しっぱなしの結果になることを承知での建設は誤りだったと思います。言わば未完成の技術商品だと言わざるを得ません。電力の供給が止まることはこれ程も甚大な影響を及ぼすとは、知っていながら実際に今まで無かったことですからというより、あろう筈がないと確信していたことでしょうから
「何でいったいどうして?」
埼玉の伯父さんから電話がありました。
「テレビは見れない。灯りも点かない。暖房も効かない。寝室へいっても電気毛布もつかない。スーパーへ買い物に行けばいつもふんだんにある筈の、いつも買ってるチンするご飯もカップメンも無い。テッシュペーパーもトイレットペーパーまでも無い」
「いったいどうなってんだろう。ガソリンスタンドは長い行列だ。電車も動かない。今の時代にこんなことあって良いのかよう」
こんな時こそ思いだそう【うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる】 あいだみつを |
樋山忠明 |
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