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『東日本大震災から1カ月』 |
大震災から1カ月、復興の目途すら立たない地域が多くみられます。
特に今回は直後に襲ってきた、大津波の来襲が地震で痛めつけられた地域を、更に壊滅的な打撃を与えました。
瓦礫の山、自動車が、船までもその山のてっぺんに置かれた状態のさまをテレビや新聞の写真で見る時、その水の限度を知らぬ力の強さを感じずにはおれません。
「水」常には穏やかな流れを、山から流れ下る渓流、せせらぎ、さざ波、波一つとてない鏡のような湖面、寄せては返す海の波、常に目にする「水」には私たちに潤いを、又、さまざまな生物の恩恵を与えてくれます。
しかし、「水」の力の恐ろしさは、その結果の大小はあれど毎年のように知らされてきております。「集中豪雨」山を欠き、川の氾濫、道路が水路となり、住宅、建物の床下、床上浸水などが、どこかに起きて文明の発展によりもたらされた現在の生活基盤そのもを、全て無視、自らの流れを作ってそして去ってゆきます。
水が「大群」を為して動くとその力、威力は計り知れない大きさに成りうる、ということを、特に今回の「大津波」は教えてくれました。
押し寄せて、そして去っていく。後は何事も無かったように知らぬ顔、いつもの穏やかな形を呈しています。
陸上では、奪われた人命の多さ、未だ生死も分からぬ多くの行方不明者の捜索も始まり、瓦礫の始末もそこ、ここに見られる光景になりました。
時々襲う余震がさて、何時閉塞するのでしょう。このような大地震、大津波がもうこの地には起こる事は無い、とは言い切れないながらもその地の人々は、先祖から、または自分達が好んで求めた地に再興の努力をされることになるのでしょう。
瓦礫の山をみて呆然とたたずみ、放心しきってなすことも知らず‐‐‐。
しかし、そこは人間のしたたかさ、わが日本人の強さというべきか復興に向けて動きだした。じっとしていても何も始まらない。
原子力発電所の大事故を始め、発電所の能力が極端に下降し電力不足、節電、計画停電と日常の生活をはじめ、製造業における各分野に於いても生産活動がストップし、とくに震災に会われた地域の企業は何時再開されるか分からないのが現状でしょう。
その影響の以外な大きさ、広さには被災者のみならず、国民の全て、否全世界に知られる結果になりました。
これは、偏に日本の技術の優秀性、日本独自の技術が世界に認められている証拠でしょう。
必ず立ちあがる日本。今、日本全国どこも皆一様に「喪」に服したような状況です。
「被災者のことを思うと、こんな贅沢はできない」「あの人達のことを」そう思う心がけは決して悪いことではない、むしろその気持ちあってこそ、われら同僚、日本人、と思います。
しかし片方ではあれも、これもと自粛自粛といわれて、取りやめ、延期、と自粛ムードが高まってくると、製造業で生計を立てている人達ばかりではありません。サービス業、第3時産業とやはり多くの人達が従事し、生計を立てていることを忘れてはなりません。程々にしてもう片方を見る目も失いたくないことと思います。 |
樋山忠明 |
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