|
『急に大阪へ行く事になりました』 |
「大宮はちょっと予定が入っていてご希望の期日までその装置は空かないんですよ。どうしてもと言われると大阪になってしまうのですが---」そこで大阪でのテストと決まりました。
「ところで物は送って頂けるでしょうが、皆さんは何でいらっしゃいますか」
「車ですよ。2人であれば交代もできるし。6時間ですから」
「そうですか。社長はどうされますか」「車だったら一緒に載せて行ってもらおうかな」
それで決まりました。朝3時30分に会社へ向えに来て下さるとのこと。
11月も終わりに近い事も有り、道中万一の事も考えてタイヤも冬用のスタッドレスに履かえての出発でした。幸い雨も上がっておりコンデションは良かったのですが、途中で霧の発生がありましたが短い区間で終わり、夜明けと共に天候も完全に晴天となって後部座席の私は読書に専念できました。北陸道から名神へそして目指すメーカーの工場へ着いたのは途中朝食を取った事も有って6時間をちょっと超えておりました。
この工場へ始めて来たのは私が勤めていた会社時代、溶接機ではなく受電設備に関する新しい工法、商品の説明があるから行って来いとの指示で今から50年位前のことでした。
当時大阪行きは夜行の急行しか無く、しかも混んでいて座席に掛けられる事はまず珍しいことでした。それと大阪駅の到着時間が遅く、新潟組はいつも遅刻だね、といわれていたのです。あれから何回来たことか。その間に交通事情も変わって来ました。
夜行の寝台専用列車も何年か走ってくれて大阪は近くなりました。夜行で行って夜行で帰られるようになったのです。
しかし行く時は時間をみて家を出ますから問題は無いのですが、帰りが早い時間に無罪放免となりますので、出発の夜11時頃までの時間を費やすのに間違いが起きてしまうのです。
「“つるぎ”は何番線でしょうか」改札で切符を出しながら尋ねます。
「今ちょうど出たところですよ」
さぁこれからが大変です。時刻表を見ながら乗り継ぎで何時に着けるか調べねばなりません。
幸い富山までの急行が有ったりして、そこから先は暫く待って糸魚川まで。糸魚川から直江津まではタクシー、などなど。こんな失敗を一度ならずニ度までやってしまいました。
でもこの夜行寝台のおかげで大分大阪行きも助かりました。それが航空路線に変わりはじめ便数も増えたこともあって、夜行寝台特急も姿を消しました。
残るは急行“きたぐに”に3両?でしょうか連結されているばかりです。
それも来年3月のダイヤ改正で姿を消すことになるそうです。
そういえば私が電車で大阪通いをした頃はその殆どは講習、勉強の頃でした。その後の大阪は式典や、メーカー行事で航空機利用のプランになっています。
時代の変化と言えばそうでしょうが、寝台車の魅力は何といっても眠っている内に目的地へ着いてしまうという時間の有効活用です。私は2段、3段寝台の一番上段が好きでした。この上には誰もいない、そんな安心感のようなものを感じておりました。
懐かしい想い出です。 |
M、N |
|
|
|
|