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『年始まわりから』 |
新年の私の仕事といえばいつもお世話になっている親戚への御挨拶回りがあります。
お仏壇に手を合わせ、ご先祖さまにご挨拶、それから家の人達と四方山話に花を咲かせ今年一年も宜しくとお願いして次々と回って行くのです。
そして夕方近くには御先祖の墓地をお願いしているお寺の門をくぐります。この時間たまたま年始に訪れて居られる方は無く、私一人でご住職のお母さんが向えて下さいました。
どんなお話からだったでしょうか、記憶にございませんが墓地の話になったのです。
時々墓地を求めてお出でになる方がいらっしゃるそうですが、限られた敷地でもありもう僅かしかないこともあって、これまで関係の無かった方にはご勘弁戴いておられるとのこと。それより、お彼岸やお盆にもどなたも見えられた様子の無い、無縁になったお墓が年々増えてきている事に困っていると申されて居りました。頃合いをみて無縁様にお移ししてお墓は取り除くことになるわけです。
また、御夫婦でお出でになり墓地をお願いされたけれど、子供さんも居ない全くの二人暮らしの家庭と聞いて、それではお墓は出来てもどなたもお参りにお出でにならない無縁様になるのが見えておりますので、お断りされ、これから施設を考えている共同の供養墓はいかがですかと説明されたそうです。
今はお葬式についても色々と言われております。「墓はいらぬ、遺骨は海へ散骨してくれ」とか、可能かどうかは分かりませんが、いろんなことを耳にします。しかし実際は本人はその時は指示もできないし、命令も出来ない状態ですからどうなることでしょう。
今までは家を継いだ長男がお仏壇と先祖のお墓を守る事が言わずもがな御役目となっておりました。それが長男に嫁いだお嫁さんの苦労の元にもなっていたことを良く聞きました。
しかし近年は家を継ぐという意識は薄れてきているようで、まして仕事も多岐にわたり家を離れて遠く県外や、外国にまで生活の基盤が移り、家に居るのは老夫婦だけでその後の住人が居ない、そんな家が増えてきそう、否すでに発生しているようです。この現象は更に加速していくのではないでしょうか。
「みんなやがては無縁様になりそうですね」
「確かに増えてくるでしょうことは感じられます。これも時代の変化で仕方無いのでしょうかね」
それにしても葬儀場がリプレース、新しく開業などが目に着きます。
人としてこの世に生を受けた者の終焉の場が多く出来て選べる事は利用者にとって良い事かも知れません。
最近は小人数の家族葬に向いた施設もあり利用しやすくなったとも言われておりますがその費用がちょっと、と言う事もお聞きします。
それにこの地方の以前からの風習でしょうが、告別式の後の「お斎」の習慣ももっと簡素に、故人の近親者のみで行われても良いのではないでしょうか。
新年に相応しからぬことを申したようで此処へきて恐縮しております。 |
M、N |
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