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【一人の男の想いが・・・】
 軽自動車がよく売れている。この軽自動車は、昭和40年代後半に無くなる危機に直面していた。それには、色々な要因があったが、そのころ鈴木自動車(現スズキ)に在籍して、軽自動車を販売していた私は、二つのことによると考えていた。一つは昭和48年より軽にも実施された車検制度。二つ目はマイカーブームの二度目の成熟期を迎え、軽ユーザーが一つ上のランクの大衆車へと移行し始めたこと、だったと思う。
 ホンダとマツダは軽乗用車から撤退し、スバル、三菱、ダイハツは主力車種を軽から小型車に移行していた。業界内部ではもう軽自動車の時代は終わった、という声がささやかれはじめ、軽だけのスズキは排ガス規制をクリアーするのも難しく倒産するのではないか、という声さえも上がっていた。
 しかし、その頃スズキの鈴木修社長は会社存亡を賭け、技術陣に「45万円台で軽を作れ!作らなければお前ら全員クビだ!」と、大号令をかけていた。修社長自身がフロンテで、全国のディーラーを半年で、駆け回って情報収集した結論が「軽自動車は40万円台でなければ売れない」だった。その頃、軽自動車は爆発的に売れていたカローラやサニーに対抗して、豪華になりすぎ高い機種は70万円台となり、カローラ、サニーとの価格差が無くなってしまっていたのだ。
 技術陣はその号令に対して「70万円台を40万円台にするなんて、到底不可能」と言って猛反発した。しかし、修社長は「40万円台で造れなければスズキは潰れるんだ。軽自動車は無くなってしまうんだ」と言って譲らなかった。
 人間追い詰められると素晴らしい力を発揮するものである。鈴木修社長はこれからの車は多目的車だと考えていた。そうした事も含め、軽自動車の形は小さいため、ボンネットバンも乗用車も形がほとんど変わらない点に注目した。そしてボンネット(商用車)なら一割の物品税がかからなくなる、つまり、ボンネットバンとするだけで一割の価格の引き下げが出来るわけである。その後の技術陣のモーレツなコストダウンの努力も実り、昭和54年5月のアルト47(二人乗り45万、四人乗り47万)の登場となったのだ。ほとんどの車が各県で価格が違うのに、アルトは全国沖縄から北海道まで全国統一価格というのも新鮮だった。
 私も最初はこんな車が売れるのだろうか、と思った一人だった。ところが発売一ヶ月もすると、それまでスズキの展示会というと、いつも閑古鳥が鳴いていたものだが、注文書を書くのが間に合わないといった状況となったのだ。3ヶ月もすると生産も全く間に合わない状態となった。
 その成功に他社も遅れまいと同じような車を出し、再びけいじどうしゃが活況を呈し、現在の隆盛を見るにいたった。しかしその影にはスズキの技術陣の血のにじむような努力と、その力を引き出した強烈な個性の持ち主である『鈴木修』という一人の男の「日本の国情に最も合っている軽自動車の灯を絶対に消すな!」という強い思いがあったわkである。
 この思いが無かったとしたら、仮に軽自動車が無くならなかったとしても、技術的進歩は10年以上遅れ、リッター35キロ等という快挙も生まれていなかったっものと思う。
特別寄稿 K.T
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