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【旅行仲間の記】 |
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仕事の途中でこの近くへ来るとできるだけ顔をだすようにしている。
今日もその病院の駐車場に車を止めて病室へ向かう。酸素吸入のマスクをして呼吸の度に体全体が動く。
大男ではなかったが筋骨逞しき農家のオヤジであったが、この病気の再発といわれてからは、日を追って小さくすくんできたように見える。
今は記憶も定かでなく、見舞客も誰か判断がつかないこともあるらしく、私が顔をだしても何か話をしていることはわかるが何を言っているのか判断がつかない。
家族には今回の入院は「退院する時はもうその時で最後の入院」であることを通告されたという。確かに最初の頃は酸素吸入に点滴とチューブが纏わりついて重病人らしかった。
所が今は点滴はなく、酸素吸入のみで食事も自分でスプーンを運び僅かながらでも食べている。
当初1か月くらいと言われていたのに、やがて3か月になる。例によって転院などの話が出てきていると聞く。
このオヤジと私たち甥っ子3人の4人で旅行しようということになり、一番年長で年金暮らしの伯父が音頭とりで、もう10年位前になろうか車で山形県の温泉へ一泊旅行に行った。
伯父さんの車で人柄がそのとおりの極めて安全、法規通りの運転だった。そこで私の計画がちょっと狂ってしまった。でもそれは誰も知らないこと、見学場所が減ったこと。
出羽三山神社にはまだ残雪があったころだった。お参りをすまして参道の店をのぞいてお茶を御馳走になり、土産の品をオヤジが一品買ってホテルへ向かった。
部屋で着替えて4人で早速風呂へゆく。大浴場は時間が少し遅かったせいか空いていた。
待ちに待った夕食。この4人の中で一番の酒豪は伯父さんで、オヤジは全くの下戸と心得ている。下戸はそのとおり、杯一杯で好いところ。
酒豪であるはずの伯父さんが以外に運ばない。それでもみんな気持ち良く飲み、語り、来年の旅に夢を馳せた。
年があけて今度は私が車で案内することにして、群馬県へ行く。
どこをどのように廻ったか定かではないが、名勝『吹きわりの滝』へ案内したことだけははっきりと覚えている。そのためにホテルへ入った時間が6時を過ぎてしまったのだ。
私は何回か来ていたけれど、おやじはじめ二人の伯父さんは初めてとのことで大変喜ばれた。
岩の割れ目の近くまで行って、轟音とともに流れ落ちる滝の水にしばし見とれ、聞き惚れていたようだった。
翌年は異変が起きた。酒豪の伯父さんが行けなくなったのだ。検査入院だから結果次第で行けると思うが。しかしそのままちょっと入院せねばならなくなってしまった。
本当はちょっとではなかったのだ。肺が癌に冒されてもう指を折って月を知らされたのだ。
本人は知らない、知らされてなかった。
隣町ではあったが私は週に一回、または10日に1回くらいは必ず顔を出していた。
伯父さんは私の顔を見るといつも喜んでくれた。それにはわけがあった。
NHKの大河ドラマ「葵徳川三代」のタイトル画面に去年私たちと行って観た『吹き割りの滝』が出ていたことであった。
「毎週日曜の夜8時が待ちどうしくてね。良かった。あの滝実際行って来たんだからね」
行く度に聞かされたが、その度に「良かったね、良かったね」と返す。
平成12年12月、ドラマが終わらない内に伯父さんは逝ってしまわれた。
一緒に滝を観た親父が今また癌であすをも知れぬ状態なのだ。
伯父さんが呼んでるのかな。 |
寄稿 O.Ⅰ |
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