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【どんぐり屋】
【“予は下野の百姓なり”田中正造 展をみて】
 11月のある日久しぶりに私に会いたいとの便りをもらい、いったい何のためにわざわざ横浜まで、と思って聞いたら横浜の「日本新聞博物館」に足尾鉱毒事件で活躍した「田中正造展」をやっているのでそれが見たい。案内して欲しい、そして久し振りにちょっとお話でも、とのこと。
 改札出口で待ち合わせ開場まで時間があったので途中のコーヒーショップで一服する。
 5年ぶり位かな。お互い老けたのは仕方ない。でも一緒に仕事をした頃の思い出はあの時の若さのままの自分たちがいる。入館者は少ない。それでゆっくり見学できてよかった。
 栃木県の渡良瀬川上流の足尾銅山から銅を取り出す時に出る鉱毒が、渡良瀬川に流れて田畑の作物、魚類などから周辺住民へと多大な被害がでた。また硫化銅の処理には大量の薪や木炭が必要で銅鉱石の野焼きが行われ、亜硫酸ガスによる煙害で木々が枯れ死に、樹木の伐採、山林火災も加わって近隣の森林はハゲ山になってしまった。
 近代化を急ぐ明治の日本で重要な輸出品だった銅の大増産の中で起きた鉱毒事件。
 田中正造は現在の佐野市の名主の家に生まれ、小区会議員、栃木県会議員、議長も務め、明治23年の第1回衆議院議員選挙で当選し、以後6回連続当選、政府に「足尾銅山鉱毒の儀につき質問書」を提出。その後も議会で取り上げ続け、22回も質問演説に立った。
 政府も洪水被害が渡良瀬川から利根川、江戸川まで広がって鉱毒の存在を認め、銅山に予防工事命令を出したりするが収まらず、住民の請願行動は警官隊による弾圧で流血の惨事となる。常に田中正造は被害民の先頭に立ち国権と戦った。そして最後の手段に。衆議院議員を辞職し、一国民として明治天皇に直訴に出る。阻まれて叶わなかったけれど、生涯を被害住民とともに戦い大正2年73歳で逝去。本葬には数万人が会葬したという。
 この争いは今から120年前のことである。
 当時の技術レベルでは鉱害阻止は不可能だったかも知れぬ。だからと言って国策としても銅の生産は続けねばならなかった、と言うことかも知れぬ。犠牲者には泣いてもらっても?
 今の日本に田中正造は居ない。技術的に数段の進歩をしている筈なのに公害は発生している。でも田中正造は居ない。昭和30年代から40年代にかけて発生、確認された「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」一般に『4大公害病』と言われる。
 国の監理能力か企業の責任か。そして裁判。結論がでるのは長い時間がかかる。
 体の異常を訴える被害者を待っているのは、厚生省かどこの誰かは知らないが、定めた「認定基準」なるモノサシで患者を測る。認定申請人の内何人が認められるのだろうか。一例をあげると3割くらいと聞く。他の7割の申請者は認定棄却として、国の医療補助も、もちろん慰謝料も出ない。どうして?ウソついてる?他に原因が?原爆の被爆者認定もそうだ。
 日本は富める国?かも知れぬ。海外援助もいい顔をしてやっていらっしゃる。しかし自国の一握りの民が苦しんでいるのに手を差し伸べてやれないなんて。加齢して口が利けなくなる日を待っている?
 そんな国いやだ!
特別寄稿 T.S
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