|
【“ふるさと”とは】 |
|
車を車庫に、家へ入ると、「ちょうど良かったSさんから電話よ」時計は8時。
鞄を置くとすぐに受話器をとる。
「やぁ久しぶり、元気!奥さんの状態は?」立て続けに自分の方から話をしてしまった。
「あい変わらずだけど、疲れちゃって。今日はショートステーに出したからやっとちょっと自分の時間がとれたんで、いろいろ考えて電話したところ」
彼とは、クラスは違ったが同じ中学校で、お互い貧しかったこともあって夜間の定時制高校へ進みそこで同級となり親交が始った。当然会社勤めをしていたけれど、定時制も4年の卒業間近になると、自分を見直すというか、別な道、それが仕事であるか、勉学に向うか、それぞれに考える機会となる。
彼は上京し昼は会社、夜は学校へと頑張った。あれから50年、今でもあの頃の彼の手紙をみると苦労して過ごした“自分たちの青春時代”が想い出される。希望の学校も卒業し、勤務先も2,3変わったけれど、聡明な奥さんと巡り合い、結婚式にも招かれ東京で合ったり、こちらへ来て夫婦共ども、そして当時の定時制高校の仲間たちとも酒食をともにし、又会う瀬を楽しみにしている間がらである。
残念ながら子供ができない。そのせいか、いつ会っても変わらず聡明な夫婦であった。
去年の春だったように思うが、彼の電話ではじめて知った。
「家内がおかしくなっちゃってさ」それは以前からしぐさがおかしかったり、言うことが変だったりしていたが、次第に度を超すようになり、それに加えて足がもつれて転ぶようになった。けがが絶えない。60代後半の夫婦であってみれば、どちらかが介護を必要とする身になっても不思議は無いと言えるかもしれない。働き終って年金暮らしは倹しいだろうが、二人でささやかな小旅行でもして楽しい日々を送って欲しいと思っていた。
最初は適当な施設とて無く、「ちょっとお預かりしてみましょう」と引き取ってもらったはいいが、やはり合わないということで出されてしまった。もっとも費用も高価で継続してお願いするつもりもなかったという。家へ引き取ってからは悪戦苦闘の連続で自分もおかしくなりそうだ、とも言っていた。
「新潟へ帰って来ないか。何もしてあげられないだろうが話は聞けるし、みんなで少しは役にたつこともあると思うよ」
そして今日の電話である。
「考えてみたら、自分の“ふるさと”とは何処なんだろうと思ってさ。新潟じゃないかな、なんて思ったりして」
「当たりまえよ。上京してからやがて50年、新潟は20年かも知れぬ。でも大都市の9階のマンションに居ったって弥彦山は見えんだろう。、そんな所は“ふるさと”には成りえない」
新潟には父母のお墓もあり兄さんもおられる。
「そっちへ行ったら借家住まいだが一部屋でも良いがあるかい」
「今ブームみたいでね、マンションだらけ沢山あってよりどりみどりってとこ。心配無いよ」
近いうちに来ることを約して結構長い電話は切れた。 |
T.H |
|
|
|
【投稿コーナー】への投稿募集中♪
↓↓↓ |
|
|
|
|
|