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【吾を置いて友去りぬ】 |
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軽い脳梗塞と聞いていた。
自分はやることも無い、きわめて自由な身というより退屈な毎日を強いられている一人者。だから彼の家へ行くことは毎日の日課であり、彼もいつも大抵決まった時間に行く自分をそれなりに承知していた。いつも本を読んでいる。テーブルにはこれから読む本が4,5冊は積んである。半身不随でも車いすには一人で乗れるので自分の用足しはできる。
愛酒家とでも云おうか、量はともかく毎日午後の決まった時間に誰かが居っても、いなくとも、コップを口に運ぶ。残念というか自分はその酒には弱い。酒のつまみにもならぬ甘いお菓子でもあれば、「さぁ食べてくれ」と自分の前へ出して勧める。
適量飲みあげると、これもいつも横になってお昼寝といく。
人のことなど云えないが、白髪がちょっぴり、アメタ頭の穏やかな寝顔だ。けれどその昔一緒に仕事をしていた頃は、工場内を俊敏にかけまわり、指導助言はてきぱきとして自分には憧れの存在だった。田舎から出てきた口数の少ない自分によく話しかけてくれた。
飲めない酒の席には、無理強いをする同僚をたしなめ、かばってくれたりもしてくれた。
やがて病魔に侵されて下半身に不都合が生じ、尊敬していた主治医からは近い将来「このようになる」と宣言された。「そんなことは無い。きっと元通りになるさ。これからの医学の進歩にだって期待できるよ」彼は苦笑いっていうか、さみしそうに笑みを浮かべて逆に自分を慰めてさえくれたようだった。
定年を迎えた時はもう車いすが離せなかった。
会社で親しかった友と3人で車いすを載せて、近くの温泉へ1泊旅行をしたことも何回かあった。酒を楽しんでしかも話題の豊富な彼は何も知らない自分には師であり、頼もしい友としてみんなの座を楽しく盛り上げてくれた。
特に歴史、時代劇ものには詳しく、温泉旅行といえども途中の名所旧跡は絶好の休憩場所、というより彼の独壇場で自分たちは一言一句聞き漏らすまいと真剣だった。
そうそう、彼はこんな病気になる大分前に愛妻に先立たれ、聡明な一人娘と2人住まいだ。娘さんは会社勤めで、父と共の生活で婚期も逸してしまったといってよかろう。
ある夜彼女が帰宅して父の異変に気付き、すぐ救急車をよんで病院へ行ったという。
翌朝知らされて病院へいくが彼は目を瞑っていた。彼女の話では軽い脳梗塞といわれたという。その軽いということはどの程度をいうのか知らないが、大したことでも無かろうと思いほっとした。それなら退院も速かろうと思いながらその日も待てず、バスで病院へ通う日が続いた。いつもと変わらぬ話に喜んでおったが、日を重ねるうちに顔の表情がちょっと変わってみえた。ちょっと苦痛らしき感じが読み取れたのである。
それから訃報は近かった。朝「起きていらっしゃいましたか。実は父が」そんな馬鹿な!
病院へ駆けつけて遺体の前で悄然としている自分を、彼女は慰めるように「ありがとうございました。好きなお酒がちょっと悪さをしたようでした」 |
特別寄稿R.K |
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