|
【「天地人」から「竜馬伝」へ一年間の大河ドラマは移る】 |
|
新潟をはじめ米沢まで、ブームは走り、俄か仕立ての観光施設、ガイドとそれぞれの自治体は大わらわだったと云ってよいのではなかろうか。人が動き、新しい施設が出来たり、お土産物が生まれ、新しいグッズが考案されて販売するお店も出来た。
年末になってやがて閉ざされる博覧会会場へ都合して妻と車で行ってきた。朝の早いうちに出たこともあって、以外に空いておりゆっくり見ることができた。
入口前には「愛」の甲冑を被った鎧姿の「直江兼継公」が入場者の要望に応えてカメラに納まっている。地元特産品販売所の声も元気が良い。放送で装った衣装なども展示されており、それをまとった俳優の姿がさもその本人であったかの如く連想してしまったりして。
一通り見て回ると出口は何処も同じお土産売り場の先にある。お土産を物色しているお客さんで賑わっている光景も同じ。
それから春日山へ向かった。豪雪で名高いこの地でも今年は早いうちに降雪はあったが今は残雪も見えず、晴天の秋日和といってよかろう。
此処へ来たのは30年ぶりくらいになるが、上り坂の道路は全て舗装され、なにも無かった高さ3m余の「謙信公」の銅像前は広いとは言えないまでも駐車場そして食堂に土産物店があった。ここは春日山の中腹あたりで本丸はさらにこの上となる。車も人も入れ替わりそれでも2,30人位の見学者で賑わっていた。
「謙信公」の銅像は広場からちょっと小高いところにあり、遠く信濃の川中島を望んで凛々しき立ち姿である。それから春日山神社、そして林泉寺へ行く。以前訪れた時の風貌とは全く変わり、駐車場そして山門までの道、これは変わっていないと思うが山門が大きく豪勢に見えた。くぐり抜けて振り返ったら謙信公直筆だったという「第一義」の大きな額があった。
寺で販売されているお守りに那智の黒石に刻んだ「毘」そして「愛」の文字の2体がある。
今年は「竜馬伝」が始まっているが、42年前に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が放映されていたが、当時の思い出すら自分にはない。あわてて文庫本8冊を読んだ。あれだけの考えを持ち、狙われておりながらの変幻自在な行動力、度胸の大きさ、強さというべきか。
同じ作者の「峠」河合継之助の生涯とラップするようにも感じられ、憤懣やるかたない思いで本を閉じた。
そうだ、おりょうと竜馬の寺田屋へ行こう。
他に行かねばならない所もあったので、ついでにちょうど良い。よし京都だ。
寺田屋についての呼び知識は小説以外に一切無。タクシーの運ちゃんに「寺田屋へたのむ」
午後も3時を回った頃だから空いているでしょうと彼は言ったが、それでも結構混雑していて狭い家の中はどこも人ひとの群れだった。一通り説明を聞いて2階へ上がる。
本当に狭い、小さな家でこんな所で刀を振り回せただろうか、と疑いたくなる。
柱には刀傷、短銃の弾痕が見られ当時を偲ばれる。おりょうが入浴中に捕り方に気付き裸で階段を上って竜馬らに知らせて難をかろうじて免れたという、風呂おけ、風呂場。黒光りしている柱が歴史の流れを知らせてくれる。
竜馬の行動範囲はその人脈とともに広い。今年はあちこちの竜馬に呼ばれることだろう。
“京へ来たなら一度はお寄り 伏見寺田屋 坂本龍馬 昔白刃のうらばしご” |
寄稿M.K |
|
|
|
【投稿コーナー】への投稿募集中♪
↓↓↓ |
|
|
|
|
|