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【老人のボヤキごと】 |
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60歳。まだ働ける。65歳、否70歳まで働いたら、働けるようにしなければ。
いったいどうしてこんな話が出てくるのだろうか。
文明が進み、人間が人間らしく生きていくには、仕事しかないのか。
その昔の自分たちが子供の頃、60歳といえば大爺だった。仕事など勿論しない。隣近所へ遊びに行くと云って世間話でもするか、将棋でも指して飯時には帰る。
自分も60歳で定年を向え、これから本来の自分の人生を有意義に暮らす積りでいた。
しかし、いざその年になってみると、まだ働ける、これが定年といわれる自分?体力には自信があった。それより、明日からの生活をどうするのか、しばらくは失業保険をもらったとしても、妻と二人で年寄り一人抱えての年金暮らしは食うのがやっとというところだ。
幸いにして会社のほうから「給料は半額になりますが」との誘いを受けた。仕事は全く同じでちょっとバカバカしい気もしたが、生活第一、お願いした。僅かな退職金はいつまで銀行に置けるやら。
一年契約、社会保険は一切なし。
それにしても学校の新卒者の就職先が卒業を目前にしてまだ決定していない生徒がおるとか。
工場閉鎖、人員整理、派遣社員、パート社員の解雇等、巷には職を求めている人、人、人で溢れている。
このような世相において、定年延長とか70歳まで働ける企業にとか言われているが、本来なら定年短縮とまでいかなくとも定年で退職頂き、後進に道を譲り雇用機会の拡大につなげるべきではなかろうか、と思うのである。
それには年金またはそれに見合うような制度で退職者の生活が保障されなければならない。
これが大変ということだろうか。
自分もそれなりの保障があれば会社の申し入れはご辞退し、憧れていた“悠々自適”の道を選んだ筈だ。自分の身の効くうちにやっておきたいことは山ほどある。それは主に時間が必要でお金のウエイトはそんなに大きくは無い。
大体年寄りの金の使い方は知れている。毎月のお医者さんの挨拶費、節約コースの旅行費、縁づいている二人の子供の孫の費用。適当に配分されて消費されている。
特に旅行にでも行ったならば、旅行費用以上のお土産をぶら下げて帰ってくる。そして電話だ。
孫の喜ぶ顔が見たくていろいろ買って来て、喜ぶ孫をしり目に「こんなのばかり与えないでよ。虫歯になったら大変だし、身体にも良くないわよ」子供に叱られる。
此処にしかないもので絶対喜ばれますよ、といった売り子が恨めしい。
そんな孫もいくら可愛がっても年を重ねるにつれて相手にされなくなることは承知していながらも関わりたくなるのである。
毎日今までと同じに出勤し、仕事をしているわけだが、仮に自分があのまま退職していたらどうなっていただろう、などとふと考えてしまう。
代役はどこにでもいるということか。否そんなことはない。どうしても伝えておかねばならぬことがある。否それも自分の独りよがりというものか。
いったい自分はどうすべきだったのか。 |
寄稿J.K |
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