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【姉さんが呼んでくれて】 |
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いつもと変わらぬのんびりとした朝飯を終えて、テレビを見ていたら電話が鳴った。
「飯はすみましたか」新潟の実家の倅からだった。
「今朝伯母さんが亡くなられたんですよ。通夜は明後日、葬式はその翌日ということになりました。伯父さん何時来られますか」ちょっと考えたが「じゃ明日でも良いだろう」
そうか、寝たきり5年位かな。息子と嫁さんが施設へもやらないで良く面倒みてくれた。元気なころも私の妻が無くなった時も、実家の倅がよく車で埼玉のこの家まで来てくれたっけ。これで女3人、男3人の兄妹が末っ子の自分と上の兄貴と2人になっちゃったわけだ。今日亡くなった姉が95歳、自分が78歳、兄貴が86歳。上の兄貴は終戦後の食糧難のころに38歳で逝っちゃったけれど、今生きておったら99歳か。
しばらくは故郷での昔の兄弟6人のころがしきりと思いだされてしかたなかった。
末っ子で勉強がきらいで一番きかない叱られっ子だった。
それにしてもどちらもいつ逝っちゃっても不思議はない年になっちゃったんだな。
翌日午後新幹線で行き、亡くなった姉の家で対面する。もともと小作りな顔立ちだったが更に小さく見えた。目は閉じてそれでもいつもと変わらぬ表情で安堵した。
翌日の通夜式会場では、見たことのある顔、顔、顔。お互い親戚関係で縁も所縁もありながら、幼少のころはともかく、社会に出てしまいば会うこともまれである。名前は覚えていても顔と繋がらなかったり、長い年月で昔の面影はあるようだがちょっと。謎解きもおわり話に花が咲くのにそんなに時間は要しない。「埼玉の伯父さん」なんて言われてうれしくなっちゃった。
あちこちでにぎやかな嬌声が聞こえる。
96歳天寿全うの母の棺を気にするでもなく、しばし想い出話や近況を伝えあっては一喜一憂している、子供たち。いつもの風景といってよかろう。
寺のご住職さまの読経も終わり、通夜振舞いの席ともなれば賑やかに同級会にも似た感じ。
唯違うのは、故人の7人の子供その孫、そしてその子供たち。天寿全うでめでたいというからこの賑やかさは許されるし、姉も喜んでいるだろう。
告別式も済んで実家へ一緒に帰り、夕食まで時間があるからとみんなで新潟市までドライブに行くことになった。何十年ぶりのこと、万代橋も渡ってくれるという。
最初地上31階、143m、2003年に出来た本州日本海側では一番高いというビル「朱鷺メッセ」。その31階の4方ガラス張りの展望階だった。
信濃川の川べりに建っており、川が日本海に注ぐ所までみえる。ちょうど佐渡からのジェットフォイルが佐渡汽船の船着き場へ向ってゆっくり走行しているところも見えた。
新潟空港への航空機の着陸、離陸して急角度で上昇していく様子など。
残念ながら夕日が佐渡へ沈む様は雲に遮られて見れなかった。
やがて周囲は少しづつ夜に変わり始め、広告灯がきらめきを増し、万代橋も明かりが川面に映えて新潟は百万ドルとはいえないだろうが、見事な夜になった。
「もういいだろう、帰ろうか」シースルーエレベーターで、あっと言う間に1階へ。
夜の新潟を、万代橋、そして古町を車の窓一杯開けて、新潟を実感させてもらった。
帰りは勿論、新潟の美味しい鮮魚料理を賞味、お礼にごちそうした。 |
寄稿H.H |
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