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【最近思うこと】 |
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不景気はいつまで続くのだろう。
一部には景気が盛り返して休日も無い位のところもあるとか、報道されていたが自分の知る限りみんな仕事も少なく困っているようだ。
それは自分がいくら怒鳴ろうと、何をしようとどうにもならぬことであり、われわれ国民が騙され続けて選んできた国会議員が役に立たない状態ではいかんともしがたい。
それにこの日本国の元首相の息子が県議会議員でありながら、飲酒運転をして器物損壊、勿論辞職したけれど、本来は懲罰ものではなかろうか。おまわりさんも、先生も、一般人もやっていることだが、公の仕事についている人達の行為は特に強調されるけれど、仕方のないことだ。
その昔、小学校の自治会で、議題はすっかり忘れてしまったが、何か(良くないこと)無くするにはどうしたら良いか、とのことで名案を議長が問うたところ、即座に挙手した秀才がおった。
「みんなが各自注意してそのようなことはやらないようにしたら良いと思います」
「賛成」「賛成」「賛成」パチパチ。あわてた先生。
「ちょっと待ちなさい。みんな一人一人が注意して、それは当たり前なんだよ。そうしなければいけないの。だけどそれが出来ない人もいるんだろう。みんながその通りできるんだったら、警察もお巡りさんもいらないんだよ。どうしたらそのようなことをやらずにすむか、やれないようにするか、たとえばやってることが分かったら何か罰を与えるか。これはあまり良くない例だが。もっと真険に考えてみなさい」一同シーンとなってしまったが。
国会では、知ってか、知らないからか、あるいは知りすぎるが故か、歯切れの悪い答弁を聞いていると全く情けなくなってしまう。本当にこの国の国民のことを考えているのだろうか。
又、テレビや新聞では何の意味も根拠もなく、人間の命を危めてしまうことも目につく。
それにも増して幼子の虐待、自分の子供の命を奪う若い親が多いように思える。
自分が親にどのようにして、育てられてきたか、それ自体様々な環境や経過があって一慨に全て良しとは言えないかも知れない。しかし、自分の親にたいして如何なる葛藤があったとしても、自分が親と成りうる頃に達したならば、その親としての自覚は持って欲しい。結婚とは何であるか。
そのような自覚をもてない人は親になってはいけない人と思う。
「一人口は食えぬが二人口は食える」こんな諺がある。今はこの意味さえ通らぬように思える。
子供がおっても簡単に?離婚してしまう。いったいその後の生活をどうする積りなのか。就職難で思う職には就けずお互いが生活に行き詰まってしまわぬとも限らない。
少なくとも愛の行為を営んだ時はお互いに信じ、愛しあっていたことは間違いなかろう。その結果子供が誕生したことは二人の愛の結果というべきもので、大いに喜ぶべき筈のものではないか。
それなのに子供が犠牲になるなど許されて良い筈がない。
自分の家は3人兄弟で両親はサラリーマン、いつも昼間は居なかった。学校から帰ると、おばあちゃんと猫がいた。自分はそれが当たり前だと思っていたが、友達の家へ遊びに行った時、お母さんがおられてお菓子を下さった。そして学校のことや自分の家のことなど聞かれるままに話した。
いつも家にお母さんがおられる友を羨ましく思った。結婚して女が家庭に縛られる云々というセリフは聞くけれど、母になったら子供の帰りを家で待つ母親となって欲しい。自分の母は生活のため、と云って働いて、働いて定年を間近にして突然手遅れといわれた病で逝去された。母の生とは何のための人生だったのだろう、と考えさせられる。やがて7回忌を向える。 |
寄稿Y.A |
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