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【35分の長電話】 |
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「ちょっと長い電話になるけど良いかい」
相手を告げられて受話器をとったら最初のセリフがこれだった。
高校の同級生で卒業後上京して色々な仕事についていたが、不動産屋へ勤めたのが最後だった。自分で開業してしまった。そして40年、女性社員を一人置いて自分は飛び回って私の知るかぎりそれ以上の社員を増やして迄はしなかったようだ。ガラス戸に間どりなどの紙を張り付けたマンション等を紹介する、どこでも見かける「不動産屋」である。
今年の春その店を閉じた。
「俺、今病院へ入院してるんだよ。もう2週間になる。とっても体がだるくてどうしようもなかった。救急車で来たんだけどやっとこんなになって電話もできるようになったんだ。店閉めたの知ってるよね。」
「知ってるよ。透析やってるからだったよね」
「それなんだよ。週2回の時はまだ仕事も出来たよ。それが週3回になっちゃって、それで閉めちゃった。子供はサラリーマンの方が良いって後を継いでくれないんだよ。仕方なく閉めざるを得なかったんだ。それでも年金と家賃収入と少しは蓄えもあるし。母ちゃんと二人でのんびりしてさ、たまに1泊、2泊くらいの旅行もしてるよ。この間はね、瀬波温泉で一泊して翌日山形県の酒田まで行って泊ってきたよ。透析してるとね、JRが半額になって一人分の費用で二人で行けるんだよ」
「それにしても今のこの発達している医学で、透析しなくても良い方法は無いのかね」
「それなんだよ。母ちゃんが自分の腎臓を分けてやっても良いというので、先生に相談したら、70歳を超えた人の移植は例が無いし、提供者にも危険だから出来ません。って断られちゃった。もう生涯これで行くしかないよ。考えてみれば若い時からこうなるまで、毎日良く酒を飲んでたよ。一生のうちに飲む量を早く飲み過ぎたということかね。今は缶ビール1本も飲めないからね」
「すると自分は生涯の量がまだ結構残っているからこの歳になって真剣に飲んでるのかな。毎日飲んでるよ」
「良いね、やはり配分を考えて飲むべきだったかな、もう遅いけどね。お迎えを待つばかりってとこだもんね」
「でもね、あなたは[聖路加病院]とか言ったろう。かの有名な日野原先生の病院だよね」
「そうだよ。100歳でまだ矍鑠としていらっしゃるからね」
「あやからねばいかんね」
「そりゃ無理だろうが、病気と同居して母ちゃんに迷惑かけないようにして、一緒に楽しく生きていくことを考えるよ」
「前に良く言ってたよね、東京からの中間地点の温泉で泊って飲んで話合いたい、言っただけで一度も実行しなかったなぁ。こうやっている内に二人の友は逝ってしまったし、一番頼りになると思っていたあんたがこんな状態じゃ。それに千葉の彼も奥さんの介護で大変らしいし」
「でもね、一度はやろうよ。透析の日を避ければ俺は行けるからさ」
彼が実家の用で帰省し帰りに声を掛けてくれてみんなで駅前の居酒屋で語り合ったのは、それでも5年位は経っているような気がする。年がいも無くはしゃいで誰言うとなくニ次回迄行って楽しい夜だった。 |
寄稿U.Y |
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