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 11月24日に恒例の「菊まつり」を終えて参道わきの展示ブースも取り払われてしばらくはいつもの弥彦神社に返った。
 そして12月に入ってこの頃は年末年始の参詣者を向えるため、参道の両脇に御神灯の準備がはじまる。
 毎年30万人の参詣者で賑わう「越後一之宮」である。特に大晦日31日の夜は一方通行の参道でも入場制限されて本殿での参拝は時間がかかる。天候がよければ尚のこと。
 12時を向える頃になると本殿前の参拝者がそのまま新年を向えたいと警備のスピーカーなど気にせず微動だにしないという光景が見られる。
 今は忘れ去られて結構と思うが、弥彦神社を一躍全国に知らしめたのは今から55年前、昭和31年元旦のこと。30年の大晦日からの夜の出来事、“弥彦事件であろう。
 明けて31年元旦を向えて本殿脇で参詣者に福餅が撒かれたこともあって、当時は一方通行等の規制も無かった事も重なり参拝を終えて帰られる人、参拝に向う人が完全に向き合ってどちらも動きがとれなくなった。事故が起きたのは本殿に入る随身門の階段であった。玉垣が崩れ多くの人が将棋倒し、圧死の様態だったという。
 参拝に向っていた多くの人達は行列の中へ入ったまま動けない状態が長く続きいったい何事が起きた事かと不安な時を過ごした。
 始めて友と二人で来て見たものの、やがて引き返すよう指示されて参拝も出来ずに帰らざるを得なかった。その時は何も分からない。事故がおきたことに違いないがそのまま駅へ向った。新聞は間に合わない。ラジオもはっきりしない。やがて124人の犠牲者が出た事を知った。
 その年の大晦日、友と二人で参拝に行った。参道は一方通行となっておりロープが張られたり、警護の人も多くさほどの賑わいも感じられず何となく物足りない。一方通行の帰路へ行くと登山道の方へ行く人が多く見えた。「おい、行ってみるか」オーバーを着てゴム長靴を履いての出で立ちである。空は晴れているし道路に積雪は無かった。
 しばらく行くと完全に一列縦隊となった。積雪も次第に多くなり懐中電灯を持っている人の灯りが頼りになる。黙々と前の人の靴の痕を辿って行く。止まれば休み歩きだせば後へ続く。いつの間にか長靴の中では入った雪が溶けて歩く度にメロデーを奏でている。でも停まって空ける時間はない。暑い。汗が出る。オーバーが邪魔してる。後ろに続いている人の列を思うとこのまま続いて行くしかない。吐く息も荒く彼と話す事すらできない。
 ちょっと急な登りになって頂上が近いと感じた。吹雪とまではいかないが雪が横殴りに降って来た。灯りの点いた建物が有りその傍らに佇んで長靴を脱いで水を空ける。ズボンもびしょびしょ。
 やがて登って来る人も絶えたようで下る人達が続いたので、遅れまいと後についた。
 帰れることの楽しさか、上りの辛さも忘れ極めて順調に降り、時間からして賑わいも納まって人の見えない神社へお参りして駅へ向った。
 今話題の「東京スカイツリ―」と同じ634mの弥彦山の元旦登山の想い出である。
 ちなみに山頂までの観光ロープウエイが開通したのはこの翌年1958年、昭和33年である。
 今年の年末年始の参詣者には、例年否、去年よりも更に更に多くの御利益を授けてやってほしい、なんて神様にお願いしている。
寄稿K.T
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