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【今年の夏は‐‐‐‐暑気払いの想い出と】 |
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夜も9時を過ぎ、さて寝るか、とテレビを消して立ち上がった時、電話が。この時間にいったい誰が何の用で?「もしもし」「夜分ごめんなさい。もうオネムに着く所?ごめん、ごめん。用事なんて無いんだけどさ、毎日どう?忙しくしてる?」「用事ったって自分一人、ひまといえばひまだわなー」
それにしても調子よくしゃべっちゃって、こいつ一杯やってるな?
「そこで相談よ。先輩が癌で入院していたの知ってるよな。一緒に見舞いに行ったじゃないか。彼が今どういうわけか退院して自宅で退屈してるそうなんだ。そこでね、今Y君と飲ってるんだが、見舞いがてら一緒に先輩の家へ行かないかってことになったんだよ。それから次があるんだよ。どうせ職無の一人もの3人だ。帰りにちょっと足をのばして、本当は温泉で一泊と行きたいところだが、それはちょっと後日の楽しみとして、浅草あたりの旅館にでも上がって一杯やろうってことなんだが、一緒に行ってくれるよな。」
一挙にまくしたてて、同意は当然と思っているところが、彼らしい。
テレビと睨めっこして、焼いた鰯やスーパーの煮物、漬物をつついて冷えているは良いがビールならぬ発泡酒とか、焼酎の水割りの毎日では、時にそんな変化がありがたい。
「よし分かった。何時行くんだ。いつでも良いようなもんだが、一応聞かせてくれ」
日時と待ち合わせ場所もすぐ決まった。そうか3人で泊って飲むなんて何年ぶりだろう。
お互い退職しても女房は健在だったから、夫婦連れ6人で電車で安い温泉宿の旅を何回かしていうならば奥様孝行をしたもんだ。 時期としては、大体9月、まだ残暑続く時の勿論平日。
誰かの奥さまに急かされては、しょうがないよなー。といって決まってしまっていた。
湯上りで浴衣姿で飲む“生ビール”のおいしいこと。
こればかりは本当は飲めないといっている女房様たちも“おいしい”と絶賛だった。
4年位続いたかと思うが、突然Y君の奥さまが急性なんとかの病気で逝去された。2人の子供たちはいずれも別に独立した家庭をもっており、彼一人の生活となってしまった。
子供たちからもいろいろ誘いは受けたが、一人の生活を選んだ。娘さんが月に一度はきてくれて
お叱りを受けるのはいつも同じ「お父さん正味期限の過ぎているものは捨てなさいよ」
その年から旅行は辞めになった。
Y君から云いだしてくれれば行きやすいのだが、こちらはみんな遠慮して云いだせなかった。
それから不思議と奥さんがお亡くなりになってしまった。なかでも自分は一番遅かったことになった。それでみんな同条件にはなったけれど、旅行の話は「今度温泉にでも行くか」
それは冗談にも聞こえ、「そうだなぁ」と相槌はうっても実現したことはなかったのである。
7月に入ったとはいえ晴天の過ごしやすい日が続いていた。久しぶりの3人だが
「去年は会ったかな?」「先輩を病院までおみまいに行ったじゃないか」今回は名物お菓子に調味料、食品類を持っての訪問である。奥様のお出迎えを受けて入る。
「やぁやぁこれはこれは、わざわざのお越しありがとう」応接間で病気の経過やら、今の毎日の生活のことなど、立て続けに話しまくる。
「先輩、ちょっとスマートになりましたね。健康そのものって感じで今の方が良いですよ」
「そこなんだよ。毎朝ちょっとだけど散歩してんだよ。体がやはりラクになってね。それより、毎日アレやってんの。医者はね少し位なら良いって言うんだよ」わが部では一番の酒豪だった。
3人は顔を見合わせた。まさかこれからのことは言えなかった。
浅草寺は工事中。賑わっている仲見世の脇の小路に占いの若い女性が、白衣のテーブルとともに客待ちのよう。なぜか郷愁を誘われたような感じ。 |
寄稿D.Y |
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