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【お盆は息子夫婦の家族と共に】 |
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何年ぶりだろう。親子3人で息子の家族が年金暮らしの私達夫婦二人の家で食事をし、泊っていくという。孫が小学校へ入学して始めてには違いないのだが。
仕事先が隣県でも仕事の性質上退社時間も一定ではなかったため、賃貸マンションでの生活だった。それから数年後「愛する人」を連れて来て、結婚式も多くの人々からの祝福を受け披露宴は一人息子を溺愛していた自分達夫婦の思いを込めたものともいえる。
やがて待ちに待っていた孫ができた。それも男の子と言うから私等の喜びは大きかった。
早いもので孫が来年小学校へ入学と言う時に、「手ごろな新築マンションが今売出中なので今のマンションから3LDKのマンションを買って引っ越したい」と言ってきた。
覚悟はしていたけれど、それは自分達にとっても嬉しい知らせでもあった。
妻と二人で見学会にも行った。3階でという息子に「5階の方が眺めがよいぞ」言わずと知れた金の都合である。
「これだけ出してやる。方法についてはちょっと相談する人が居るんで後で話す。残金は預金がいくらあるか知らないが、ローンも組めるだろう。間違いのないようにやれ」
嫁の立場はそうも言わなければならないのか。レストランで好きなものをとらせて、それでも妻と気分よく帰ったものだ。そしてその秋に引っ越しだ。
「お母さん、何もなさらないで下さい。」孫の相手をしていろということか。
今までの家具、調度品な大半はその姿は無く、新品が運びこまれ、だんだんと人の住いを形成していく。妻が「お昼何かつくりましょうか」「お母さんはなにもなさらないで。あなた、お願いね」息子が出ていった。戻って来た時はペットボトルのお茶とコンビニ弁当をテーブルの上に並べた。「はい、戴きます。お父さんはお魚、それともとんかつにします?」
食事中も二人は、次はこれを、あれはこちらが、とか、午後の仕事の順序を話あっていた。
主導権は嫁にあった。慣れない仕事でいささか疲れを感じていたが、それでも二人の楽しそうに動き回っているのを見て、手を貸そうと指示を受け動き回る。
妻はといえばゴミや包装紙、梱包材などをちょこちょこと動きまわっては集めている。
午後も3時を過ぎると殆どの配置も終わり、あとは小物や内臓品の始末、二人でないと分からないもの等に集約された。もう自分達の手伝える事も無かろう。明るい内に帰ろう、ということで「ご苦労さん、しっかりやってくれよ」「お父さん、もう帰るんですか?ちょっと休んで夕食を」「いやいや車だからお酒も飲めないし、少しでも明るい内に帰りたいから」
そしてお盆。妻はどうしたわけか、俄然張り切りだして、泊める部屋の手入れ、寝具の見直し、食材の選定と常に無く働き出した。その日は車の到着時刻になると、私がそわそわして表の通りまで出たりしていた。妻はごちそう作りに懸命だった。
そういえば、午後二人でスーパーへ買い物に行き、帰って来てから台所から出ることは無かった。こんなに張りきっている妻を見た事は無い。やがてお土産やら自分達の持ち物を沢山持ちこんで、車から降りた。挨拶もそこそこに私は孫とお話。嫁は台所へいって妻と和やかに話し合っていた。良かった、家族の絆は結ばれている。賑やかに夕食の宴は続いた。
和やかに、2泊3日は瞬く間に過ぎた。「又お出で」孫の頭をなでる幸せ。
しかし、車が遠のいてから
「もうあの子達とは一緒に暮らせない事が良くわかりました。一晩泊めることさえ否です」
いったい何があったのか、鈍感な私にはさっぱりわからない。 |
寄稿M.K |
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