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『電熱ヒーターの思い出』 |
ヒーター関係は早くからお客様からの要望があり、製造元との関係はできました。温度制御器のメーカーの担当者から幾度となく紹介して頂きました。ヒーターでもメーカーと言えばそれなりに工場も機械も整えた所と思っていたのに、東京のあるビルの一室であったり、工場はあっても外注工場で、そんなメーカーが多いのにはちょっと心外でした。
その中でも結構私の注文をきちんとまとめてくれる社員ゼロの社長との取引が続きました。シーズヒーター、パイプヒーター、バンドヒーター、等全て工業用の特殊サイズで受注生産品です。「ヒーターは種類によって最も得意としている工場を選んで作らせているから」と彼が言うだけあって製品としては心配なく安心してお願いしておりました。
ある時、家庭用暖房器具のヒーターを何とかならないかとの話があり、彼に問うたら同じヒーターでも民生用となると製造工場が全く分からないというのです。都内の取引先にいろいろと聞いて行ったら、それらしい工場を教えられ、とにかく行ってみたらといわれ、すぐ彼に電話をして行ってもらいました。そして同じ用途のヒーターを作っていることが確認できましたので、私も上京し一緒にその工場へお願いに行きました。
入口の脇が工場で小さなプレスが3台、軽の箱バンが来て積んであるヒーターをみました。
これだ!聞けば団地廻りで製品になると若い運転手が教えてくれました。
最初は忙しいしそんな余力は無いからとお断りの言葉を並べておられましたが、凡その数量を承知され後日見積書を頂けることになり、後のホローを彼に任せて帰りました。やがて見積もりもでて暫くは納入させて頂いておりましたが、電気容量は同じでもニクロム線の径が違い、こちらの仕様のヒーターは一向に出てきません。そのことを彼に再三催促をしていたら、突然値上げ、しかも現状のままの品で。いずれも呑める条件では無し。そこで困って納入先の担当者の所へ行き、実状を説明してご容赦願いたいと幾度もお詫びしましたが、今更どうにもならぬ、仕様通りのものを引き続き納入してほしいと言われます。
もう彼を怒鳴りつけてもどうにもなりません。自分で材料を調達し、巻線機や関連する機械道具を作って走らねばなりません。巻線機の図面を書いて鉄工所へ、ニクロム線、絶縁チューブ、マイカ板等の発注です。厳しい単価に協力して頂きます。
巻線機が出来ました。でもマイカに自動でニクロム線を巻き付けていくわけですが、途中でマイカ板が割れてしまうのです。そこで巻線の張力の調整、線の出る方向とか、やっとまともにいくようになると、次の工程の機械が調整を待っています。そしてどうやら製品にまとまる目途がつきました。今度は要望されている数量に対してそれぞれ何台の機械を作ればいいか。そして東京のヒーター工場がそうであったように内職として協力して頂ける人を何人お願いすればいいか。
全てそうでしょうが、立ち上げの苦労とその完成の喜びは携わった者しか分からない特別なものです。数年前にこの仕事も先方の都合でなくなりましたが、20年余にわたり内職の小母さん達に安い工賃で協力して頂きました。感謝しております。 |
樋山忠明 |
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