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『思いがけない人からお世話になった人を忍ばせていただく』 |
念願の仕事で協力者をお願いしておりましたが、お世話頂いて会える日が決まり,その朝埼玉へ高速道路で向かいました。
約束の午後1時着、紹介されて早速打ち合わせにはいり、一段落して
「いろいろ検討して疑問点や、私の考えがまとまったら連絡しますのでちょっと時間を下さい」
依存ありませんので宜しくお願いします。
お世話頂いた社長さまのご自宅での打ち合わせでしたが、すぐに奥様がビールと手作りの御馳走を運ばれ、困惑している私達に
「まぁいいじゃないの。顔合わせなんだし、泊まって行きなさいよ」
「そのつもりで何もありませんが準備しておりますので」
奥さま。私は今日は一杯飲って泊まるつもりできたけれど、ビジネスホテルがあると聞いていたのでそちらでと思っておりましたが、今は子供も皆縁づいて大きな家にご夫婦二人住まい、二人で簡単に
「お言葉にあまえようか。お世話になります」
やがて酒もすすみ、話もすすんで今日初対面だった彼が
「F社のN氏を御存知ですか」
「彼の創業前から知っていますし、仕事の上でも長いお付き合いさせて頂いておりますが」
「私はね、彼とは仕事の関係で知り合ったけれどプライベートでのお付き合いの方が多くて親友でしたよ。彼の結婚式には司会をさせて戴いたんです」
「では貴方は彼の通夜、告別式にも居られたわけですね。私も参列していたんです」
今年は7回忌にあたり、ご家族で法要をすまされたと聞いておりました。
「じゃ武勇伝も良くご存じでしょう。とにかく一杯入ったら行くところまで行っちゃうんですから。どうしようもないんですよ。女性が相手をしてくれていたならば、とにかく巧妙な下ネタをとりまぜて笑いの絶えない座になってしまって」
親友というから良くご存じ。
勿論仕事は第一で私もいろいろとご指導を乞い、製品の供給や修理にとお世話になったのです。
気丈な彼がいつもちょっと休めば治るからといって車の中で横になって、出て来るのにその日はお昼になっても動けない状態で、ついに病院行きを承知し、診察を受けたら絶対安静。
『肝硬変』聞けば大分前からとのこと。
それにしても毎日ビールを飲んでいたらしい。3か月後の退院の時
「先生にこの先何年くらいでしょう。って聞いたら十分注意、節制をして10年かな。と言われちゃった。しょうがないよね」
さみしそうに微笑をうかべて言っていたのに早かったんです「容体が変わりました」と電話がきたのが。
新幹線で急いで病院へ行ったら、虚ろな目をして私を見るでもなく右手の人差し指でなにかを描いているようなんです。ちょうど制御回路のチェックをしているように。私の顔を見るでもなく、声を出すでもなく。
訃報が知らされたのはそれから5日位後だったかと思います。
思わぬところで思いがけない人からお世話になった故人を忍ばせて頂きました。これもお盆の月ゆえのことでしょうか。 |
樋山忠明 |
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