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『お元気!萬年青年社長の盆参』 |
いつも机に向って仕事をしておられるのに、邪魔をしに行く私にいつでも机を離れてお話して下さる。しかもお邪魔する時は私の勝手で社長さまの都合などお聞きしたこともありません。そんな私に1時間でも2時間でもいつも柔和な表情でお話して下さる社長さま。
「いやー、もう今年もお盆がきましたね。私は毎年お盆には、親や親せきのお墓参りはあたりまえですが、他にお世話になって故人となられた方、今の私があるのは、その方々のお陰と思ってお墓参りをさせてもらっているんですよ」
仕事の上でご指導いただいた方、人生の途上に教えを乞うた師、素直に聞けて、受け入れられた故に、恩人として敬える社長さまの人柄に頭が下がります。
困ったことは、お名前は勿論存じ上げており、葬儀、野辺の送りにも参列させてもらっていたけれど、お墓がどこにあるかがわからない。
どうにかわかる事といえば、導師から「寺」は判断できる。
「内緒に、誰にも知れないように、お参りさせて戴こうと思ってるのに墓が分からなくてはそれが出来ないでしょう」
前もって墓地を探し歩いたり、寺の方にお聞きしたり、その故人と縁故にあたる方に尋ねたり、いろいろと苦労されたようです。
そして一般の親族もお墓参りをすまされた頃、一人で供花やお明し、香を持って墓前で想い出に耽り、感謝して廻られるとか。
勿論好物を、お酒の好きな人には「ワンカップ」供えることも欠かしません。
そんなお話を聞かされ自分を振り返って考えますと、母に教えられ、連れてお参りした処のみで、多くの方々にお世話になっていながら、また、その故人のお墓も分かって居りながら素通り。1本のローソクもお線香も手向けたことが無いのです。
よくテレビや雑誌などに、著名な方の墓前には命日でなくてもお参りの人が絶えない、とか見ますけれどそれには別に違和感はおぼえないのに。
そして、お参りされる故人との出会い、教えを受けたことなどお話下さいました。
しかし、それぞれの逸話は、普通に聞けば当たり前のこと、ずば抜けた「名言」などではありません。すべては受ける側、社長さまの素直な感受性にあったというべきでしょう。
花屋さんの前を通ったら、きれいなカーネーションがいっぱいあった。そして尋ねた。
「この花はどうしてこんなに沢山あるの?」それを知ってアイデアが生まれ、社員の皆様に思いがけない形でのプレゼントとなったとか。
感謝し、感謝され続ける“萬年青年アイデア社長”に乾杯! |
樋山忠明 |
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