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『今年はいったいどんな年?』 |
大晦日の夜はいつも町内にある鎮守様をお参りし、古いお札、お守りなどを境内に焚かれている篝火に投じてお参りし、神前でお神酒を頂いて帰ります。
ところが今年は降雪はさほどでもないのに風が強く、用意はしてあったものの篝火は燃やされておらず、シートが掛けてありました。
用心のための防火用水も水道が凍結して取れなかったとか。
紅白歌合戦が終わると近所の人たちが手に手にお札しめ縄、そしてワイヤでスルメを吊るした竹棒を持って集まってきます。
いつもは威勢よく燃え上がり周りを囲んで話もはずみますが、今年は燃え上がる炎も立ち上る煙も見えず、お札類はまとめて置いて後で焼却して下さるとのことで良いとして、スルメはお持ち帰り。篝火を囲んでのいつもの話し合うこともなく、ちょっと寂しい大晦日でした。元日は車の渋滞を避けるべく午後も3時ころ、弥彦神社へお参りに行ってきました。
さすがにお正月、越後一之宮は参拝者で境内はいっぱいでした。不安と期待、どんなお願いをされているのやら。
8日出社して地方紙を見て驚きました。7日夕刻市道で自転車に接触された歩行者が転倒し、意識不明のまま3時間後に死亡の記事。死亡した歩行者とは定時制高校の同級生でしかも私たちのグループ仲間だったのです。
昭和34年卒業時9名のグループで、当初は新年会や旅行等で会う回数も多かったのですが、やがて仕事の関係や婚期を向え、子供等などで次第に疎遠になり今は年賀状の交換だけの繋がりになっているのです。
時間の都合がとれそうな仲間に電話して3人で自宅を訪問し、目を閉じて帰らぬ人となった友に対面してきました。声を掛ければ目を開いてすぐにも起き上がりそうな彼、しかしそれは届かぬ願いでした。これで9人のメンバーが2人欠けて今は県外に2人、市内に5人の「年賀状仲間」になってしまいました。
千葉の友は子供には恵まれず、奥さんと2人の年金暮らし。「あの彼が?」そして歩行困難で痴呆も進んできた奥さんをやっと施設で預かって貰えることになり、昨日お願いしてきたというのです。自宅での看護は大変だったようで、やっと解放されて-----。
東京の友は「ほんとかい?」その次の言葉が「今月末で商売辞めるよ。店たたんじゃうよ。子供は会社勤めで後を継いでくれないし。業界も悪いし。それに、自分の身体も壊れちゃって修理が効かない。いつまで生きられるか知らんが、延命治療、透析に通ってんだよ。そっちの方が忙しくて」定時制高校を卒業して上京し、工員をしていて縁あって不動産会社へ勤め、独立開業して40年くらいでしょうか。
人生もいろいろ。今年はいったいどんな年になるの? |
樋山忠明 |
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