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『天神講を向えて』 |
もう2月も末で春3月が目の前にきております。
関東地方は少しは良い兆しが見えてきたとの情報を聞きますが、こちらはさっぱり色良いお話が聞けません。いつも云われていることは、“景気の悪さはいつも早く、良くなることはいつも遅い”お世話になっている会社の部長さんを訪問した時
「日本での製造原価が \100,000.の製品があちらで作って販売されている価格が\35,000.だって。どうする?日本で物作りは出来なくなっちゃうかな」
また
「ある大メーカーが中国、タイ、インド、ベトナム等の海外に自社工場を持っていない企業とは下請け工場として認めない、と言ったとか。そうすると現在の下請け工場の9割が切られることになるそうだ。9割の切られた会社はどうなる。今さら他に仕事を求めても無いぜ」
2月も半ばを過ぎますと、わが家では床の間の軸を取り替えます。
14年前取引メーカーの旅行で大宰府天満宮を訪れた時、求めてきた「天神様」のちょっと細身の軸に代わります。
そして花台には20年位前のこと、京都の伏見稲荷大社を参拝した時に参道のお店で見つけた伏見人形の天神様を据え、昔懐かしい「松」「竹」「梅」や「鶴」「亀」などのお菓子をいつものお菓子屋さんから買ってお供えします。
今年は「松」「竹」「梅」の3個にしました。子供たちは誰も食べませんので私と家内の楽しみで25日の縁日を終わると、毎日少しづつ割って食べます。
私たちが子供のころ、毎年母は「天神様」の軸を掛けて、このお菓子をお供えし、「天神さまは学問の神様だよ。筆や鉛筆をお供えしてお参りしなさい。きっと字も上手になるよ」と、教えられたものです。
あの頃の軸はちょっと痛んでおりましたが、牛に乗った天神さまで手書き彩色のきれいなものでした。そして毎年聞かされた話が
頭がよくて学者になり、天皇さまに認められて大臣にまでなったけれど、妬みを持つ悪い人たちに都から九州の太宰府へ島流しになったこと。その時に詠んだ詩が、
“私がいなくなっても春には咲いてくれよ”と梅の木にたくして
“東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ”
面白いことに良寛さまの話もありました。あるところで天神様の軸を書いて欲しいと頼まれた際、おまけをねだられ、ほら、これで良いか と一字余計に書いてやったとか。
“天満大自在在天神” 在の字が一字余計なのです。
母に教えられた天神講を日本庶民のしきたりとして続けていく積りです。
ちなみに全国に天満宮と名のつく神社は233社あるそうです。 |
樋山忠明 |
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