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『年頭早々に訃報とは』 |
お客さんと時間の約束があり、車で走行中のこと、携帯電話が鳴りました。除雪された道路は狭く停車するスペースも無かったので、受信を切ってやがてお客様の会社の駐車場へ入りました。携帯の発信者を見たらいつもお世話になっているメーカーのサービス会社の社長さんでした。
「先ほどはご免なさい。走行中だったんで。何か変わったことでもありましたか」
「S君が今日葬式だってこと知ってます?」「えっ」
「私も今日はじめて聞いたんですが、昨日お通夜で今日葬式だっていうので、驚きました。それでもあなたはご存じかなと思ってもみましたが、もしご存じなければと思いまして」
なぜ、どうして、逝ったんだよ?
「歳だってまだ40代、もし50代としても前半でしょう。子供は女の子2人まだ学校じゃないかな。今日はもう行ってもしょうがないでしょう。後日、日を改めて私と一緒にお参りに行きましょうよ」
彼はメーカーの代理店の営業マンとして、私の会社を長く担当してくれていました。
当社の社員にも信頼され、彼も良く努めてくれました。結婚式にも招待され、祝辞ものべさせて頂きました。
ちょっと他の営業マンと違っていたところは、お客様の要望にたいして私達と一緒にその方法なり、対策を考えてくれる、そんな突っ込んだことが好きだったと言える。元来技術商品ですので、一般の最寄品の営業とは異なるわけですが、毎月、毎期の数字は追及されても私にはあまりその辺の強要とか、露骨なこともありませんでした。きっと堪えていたのでしょう。ある時、社内で担当替えがあり当社の担当を外れることになりました。
それから数年、売上げがどこも低迷している頃、会社都合でその会社を辞することになりました。決定して当社へ来た時のこと、今も忘れられません。
彼が欲しい!本当に何回も何回も自問自答しましたが、現実の厳しさを思うと、たった一人のしかも自分が気にいっていたとはいえ、“誘い””お願い“はできませんでした。
全然別の業界で働いているとの知らせを聞いて、気持ちの上でも開放されて明るくやっていけて良かったのではないかと内心ほっとしたものです。数年後彼が勤めていた当社の取引先である会社も整理廃業となってしまいました。ちょっと早かったかも知れませんが今思えばあの時で良かったと思います。その後は年賀状だけの付き合いになってしまい、生きておれば何れは会える、そう思いながらの逝去の報でした。
色々想い巡らしていたらたまらなくなって、彼の当時の上司に電話しました。
「あなたには電話しようか、どうしようか散々迷ったんですが、あれから大分経ちますし、そうですか、それはすみませんでした。1年位前に膵臓に癌が見つかり、摘出したんですが秋頃に口頭癌が、結局それが命とりになったようで、小学校6年、中学1年の二人の女の子と奥さんが泣き通しで、切ないお通夜でした」彼53歳の一期でした。
ご冥福を祈るとともに、お参りに行かねばならぬ足も重く感じます。 |
樋山忠明 |
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